ここ数年を回顧してみる

プトゥがついに、トラック業を終えてまた車を買おうかな、と言い出しました。

いい機会なので、この数年を振り返ってみます。

2019年3月頃からコロナ禍に。得体の知れない病気は怖いけど、仕事はゼロ。うちの中にずっと3人でいてもやることはなく、息が詰まるので、4月末にはヌガラに疎開。義兄の家を借りて、庭を開墾して家庭菜園スタート。

この時期の菜園と料理は楽しかった。小さなPを連れ、お金をかけずに出掛けられる田舎の自然がに恵まれた暮らしは、育児の助けにもなりました。

しばらくしてプトゥは、別の義兄が眠らせていた車両を借りトラック業スタート。あまりに故障が多すぎるので、2020年10月に自分の車を売り、トラック購入。でもその年の雨季は酷く、地面の状態が悪くて12月-2月はほぼ仕事にならず。予想を裏切って収入、全く安定しない。。。そんな中、愛犬ふうあを失い。でも、しばらくヌガラを拠点にがんばりました。

この時期は何度か大きめの喧嘩もしたなぁ。

少しずつ顔が知られ、仕事の幅が広がる。プトゥはバドゥンやギャニャールでの仕事に誘われるように。泊まりこみのため、彼の不在は増えていく。

2021年の雨季。空き家周辺で数回浸水の危機があり、3歳児のPを抱えたワンオペの私は恐怖に。総合的にいろんなことを考えて、菜園は諦めバドゥンに戻ることに。

これで少しは家族で一緒にいられる時間が増えるかなと思った2022年1月、プトゥいきなりジョグジャカルタでの遠征仕事。雨季なので、安定収入を求め、さらに離れ離れの完全ワンオペ生活がスタート。

収入は安定し、Pは幼稚園に通うようになったり、私はワンオペ大変でありつつも経済面の不安は解消。私も遅々としながらも、翻訳やウェブ関連のノマド的なお仕事を家事育児の合間に。ほんの少しずつ充実度はアップしました。

ジョグジャカルタの遠征も数ヶ月で終えて、その後はバリ島内のあちこちで仕事を頑張るプトゥ。

トラックは継続的に仕事をするならば、5年が寿命だそうで。今はちょうど3年が終わろうとしているところ。トラックはまだ現役で動けます。一方で、バリ島内の観光業は概ね以前のように復活。実は、日々大型車のブレーキやアクセルを踏み込んできた影響で、プトゥは右足の調子も悪くなっているんですね。重労働だから、年齢的なことも考えた方がいいよね、と幾度か私から話すこともありました。

何か大きな決断について考えている時、プトゥは寡黙になります。機嫌悪いのかな、怒っているのかな?と話しかけると、普通の声。しばらく放置していると、私に相談してきます。その頃には本人の中でほぼ方向性が決まっているので、了承すれば一気に物事が動き出す。

いやぁ、実は私、ここ1ヶ月「そろそろまた車ほしいなぁ。次は私も乗れるAT車。いつ買えるようになるかなぁ。」って、思う頻度が増えてたの。そうしたらプトゥからこの話。トラックだと、バリ島のあちこちにちょっとしたお出かけをするのが難しくて、ここ数年はバイク距離のチャングー周辺しか動けていませんでした。

そんなわけで、我が家に車が戻ってくる予定。

仕事はどんな風に変わるのかなぁ?

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動き出した?

Pの幼稚園就業、カンプン帰省、一時帰国準備、人との別れ、仕事関連。色々とやることがてんこ盛りで、先週からバタバタしています。とても残念で大きな変化もありました。かと思えば、別の側面ではすごくポジティブな流れが起きて、エネルギーが湧いてきたり。なんだか急です。

まるで川の石に堰き止められてゆらゆらする葉っぱのよう。
水量が増えて小さな石は転がり、葉っぱはまた流れてゆく。
物事って、動き出す時は動き出す。

こんな風に書かれても、なんのこっちゃですよね。
まぁそんな心境です。

こんな時間にお供物のお菓子を静かにむしゃむしゃしているおじいちゃんとP。

白犬ひめはシャンプーをして、久々に出てきたマダニのお薬を投与。

今日は言葉少なめ。

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生後3ヶ月のオトナン儀式

Pの従兄弟にあたるDitaちゃんが生まれ、生後3ヶ月の儀式がありました。バリヒンズーのウク暦だと、生誕105日。地域によっては6ヶ月目を盛大にするところもあるようですが、うちは3ヶ月をやれば、あとは通常のオトナンでOK。Pの時を思い出すなぁ。

1月のガルンガンは義母がいた頃と同じように自分たちでお供物を準備したけれど、やっぱり赤ちゃんのお世話で忙しく、皆が遠くからそれぞれ手伝いに来るのも大変ということで、今回は村に依頼。

規模も小さめにしたので、いつもは別の場所で用意していた豚料理も自宅に寄り合って準備。

サテ最高、サテ万歳。
レストランで食べるのよりもずーっと美味しい。

カンプンに帰省すると美味しいのに「もういいでーす」というくらい、バリ料理が続きます。

こちらは豚肉とナンカ(ジャックフルーツ)をスパイスで長時間煮込んだスープ。

他にも肉をカリカリに揚げたり、ラワールに混ぜ込んだりソーセージを作ったり、トゥムという蒸し肉を作ったり。料理だけでも40人以上の村人や親戚が集まり準備。

オトナン儀式当日には遠方からの来客もあり、ゆうに150人は出入りしたでしょうか。

私も結婚5年にして流れに大分慣れました。

あくまで流れにね。

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デンパサール – ギリマヌク

去年は珍しく、ヌガラでも洪水のひどい時がありました。その時の記事はこちら

デンパサールに抜ける1本道の橋が汚泥で一時的に使えなくなってしまったのですが、橋自体は無事でよかった。

あれから浸水することはもうなかったみたいだけど、周辺は倒壊した家がまだそのままの状態だったり、上から流れてきた木が撤去されないままだったりして、まだ見窄らしい景色になってる。

橋の向こうに新たに作っているコンクリは何だろう?

あと、帰省ルートの別の場所に、新しい橋の道ができていました。

橋桁とか派手なものがなくて、地味で距離自体短いので、正直あまり新鮮な感動はなく「へーっ。あれ?もう終わり?」というのが感想 (´m`)

でもここ実は、元々は一番のくねくね急斜道のあるところで、事故もとても多かったそう。急斜道を省いたおかげで、大型トラックが亀のように坂を登ったり、登り切れなくて後ろに後退してくるなんていうホラーなシーンが一つ減った、というわけです。

ヌガラからデンパサールに入る道の渋滞は、大概がゆっくりトラックやトラック事故が原因なんですよね。数ヶ所に追い抜き車線をつくればいいんじゃないのー?ってよく思っています。道も重さのせいか基礎工事がお粗末なのか(多分両方)あちこちがボコボコになっていたり。

最近は自家用車でバリ島に遊びにくる国内観光客も増えましたし、これは良い税金の使い方としたと思います (´∀`*)b 

デンパサール(正確にはムングイまで) – ギリマヌクルートは他に長距離の高速有料道路を作る計画もあり、プロジェクト自体はすでにスタートしています。プトゥもそのうちこの仕事に参加するかもしないかも。

同時に、観光エリアの渋滞回避策も急がれますねー。年末年始のチャングーは大変だったみたい。

それから、CCTV道路設置による違反車両のナンバーチェックが以前より頻繁で正確にできるようになったらしく、ノーヘルやスピード超過の外国人を顧客に抱えたバイクレンタル業者が違反料金を支払う羽目になり(帰国した後に罰金の連絡が来る)、頭を抱えているそうです。

チャングーも、ウブドみたいに回遊バスを作ればいいかもね。

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年始雑感

明けましておめでとうございます。

自宅では玄関先にペンジョールを飾り、大晦日には年越しうどんを打って

元旦までバドゥンの自宅で過ごした後、ガルンガンのためにヌガラの実家に帰省。

Pは普段静かな自宅にいるので、毎日人が入れ替わり立ち替わりする、賑やかな実家の雰囲気が楽しくて仕方がない様子。今回は義兄のところに赤ちゃんが産まれ、ゆりかごをプレゼント。年下の従兄弟と遊ぶことを心待ちにしていたけど、「まだ赤ちゃんだからあんまり遊べないんだね」と自分で理解してた。

Pの手も私から少し離れ、実家のバンタン(お供物)のお手伝い、毎回少しずつだけど、できることが増えてきました。

ここに疎開していたのはもう1年以上前になるので、新しい変化も。

義兄の日本語学校、新校舎がついに完成。
今は実習生の送出し機関の許可を取るため奔走中(なかなか大変そう)。

その敷地の前には別の義兄が商店を開始。

商店の方、奥さんがショッキングピンクの建物がトレードマークのベビーグッズ&スーパーClendy’sバリ支部で、会計の仕事をしていたんですよね。

みんな新しいことを始めていて、すごいなぁ。

バリ島に暮らすと、日本と同じ金銭感覚で人と接していると痛い目に遭うことも少なからずあります。でも、うちの家族にはあんまり怠ける人がいない。もっと言うと、お金貸して返さないトラブルをあまり聞かない。そういう人が寄ってくるのが嫌で、別の義兄はコミュニティに小さな金貸し業を開始。何か相談があればそっちにいったら借りられるよー、ですべて解決。 (´m`)

ひろーく親戚を見渡せばあまり働かない人もいるんだろうけど、義父が怠け者が大っ嫌いで厳しいので、そういう人はこの実家にはあまり顔を出しません (´∀`) 私も貸せるお金なんてないので、この環境はありがたい。

さて、2023年の抱負、書いておこうかな。

  • 10kgダイエットをあまり無理することなく自然達成。((*´∀`*))ヶラヶラ
  • 写真と動画を上達させる。
  • インテリアや建築に関わる仕事がしたい(昨年に引き続き)。
  • 日本一時帰国
  • 車購入(引き寄せの法則)

書くだけならできる!ヽ(・∀・)ノ

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ヌガラの洪水が心配

10月に入って以降、いきなり本格的な雨季!という感じに雨が降り続いている。

伴侶も仕事しづらくなっちゃうのかな、と思ったけど、今のところなんとかクルンクンで続けられている。大きい現場はトラックを通すための道を先にしっかりと作ったりしてくれているので、仕事もしやすいみたい。

でも、この数日の雨でヌガラの実家近くの川の氾濫が酷かったらしく、橋が壊れたり土砂で通れなくなったりしてしまっている。現地の地形が想像できるので、農作物などの被害もかなりなものだと思う。

汚泥の除去をしているのは、警察官や公務員の方々。


最初はバイパスの橋が壊れたような話も聞いていたけど、写真は別の橋で、バイパスは汚泥を除去すれば通れるようになりそう、とのことです。今はトラックなどの物流は、シンガラジャ経由で移動中。

これ以上雨が降らなければ物流は回復できるのかな。。。ただ、この被害は上の山で大規模な伐採があったことにも起因しているらしく、また大雨がくればどうなるかわかりません。

うちの家族は大丈夫だったようだけど、これは酷い。。。なんて思いながらFacebookで現地の状況を追っていたら。

あれ?知ってる顔が。

[ポーズを撮る人が支援グループの人。支援状況の確認のために毎回撮影。]

プトゥの従兄弟じゃん。

いつも地元でめぐまれない人への支援グループで活動しているから、それ?と思ったら、表情が少し暗い。たまたまプトゥも一緒にこの画像を見たので電話してみたら、彼の自宅の敷地が半分浸水して、家の中にまで入ってしまったようで。。。早めに気づいてよかった。

大工なので体力があって、上半身裸なのもすぐに片付けを始めているんだろうな、と伝わってくる。

いつも本当によく実家を助けてくれる一家。できる支援をすることにしました。

私がヌガラに疎開していた時にも一度浸水の危機があって怖かったけど、ここまで酷いのは本当にはじめてだと思います。

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幼稚園入学と義母

随分と久しぶりの更新です。さて、何から話しましょう。

ワンオペも半年が過ぎ、ジュニアは7月に幼稚園に入学しました。親らしく、幼稚園通いを好きになってくれるかハラハラ。。。

インドネシア語と日本語のバイリンガル環境で育っているので、インドネシア語もまだまだ足りない部分があって、そのせいか元々の性格なのか、最初の週はおとなしーく、後ろにいる親をみてばっかり。

泣きながら門に走ってきて先生に捕まり連れて行かれたりもしてたなぁ。。。・゚゚(ノД`)

最近ようやく好きなお友達ができて、休日も幼稚園に行きたい!と言うようになってきました。クラブ活動もあり、絵画とブレガンジュールにチャレンジ。

そうこうしている間に、実家で介護中だった義母が他界。

このため葬式の準備や諸々で1週間またヌガラへ。

身内としてフルでガベン(葬式)に参加したのはこれがはじめてです。

遺体の沐浴を一同で行うことにはなかなかのカルチャーショックがありましたが、そのはじめてが義母でよかった。小さくなってしまった義母を見て、ついつい涙が。でも、バリヒンズー では死は輪廻転生を意味するのでハレであり、本来はあまり泣いてはいけません。

バリアンと言われる呪術師にはイタコ的な人がおり、家族みんなで訪問。故人がのり移り、言い残した話を伝える。これは伝統的にどこのバリヒンズー 家庭でもやることは知っていたのですが、

実際に参加してみてわかったのは、故人の話を聞くことで家族みんなが少し気持ちが落ち着くんですね。火葬のときには何を一緒に入れてほしいとか、家族一人ひとり名前を呼んで話しかけたりとか、予め情報を知らないと分からないだろうなぁというようなシーンは確かにありました。フルのバリ語で内容はリアルタイムには全く理解できないのですが、私にだけはインドネシア語で話してた。

亡くなってから最終日の火葬&散骨のガベンまで、実家では毎日来訪があり、夜は連日村人が集まり家族が寂しくないよう一緒に過ごす。来客はお砂糖やお米など持ってきてくれるので、それを受け取ったり、おしゃべりしたり。来客には結婚式のように食事は出ないけど、家族や葬式準備をする人には食事も振る舞う…豚を4頭絞めたとか。ずーっと忙しいです。

たくさんのプロセスを得て、忙しくて…ガベンになるとようやく本番!という感じで、無事に義母を見届けることができたことに、皆清々しい気持ちに。

外国人でバリ語ができない私にも、分け隔てなく接してくれました。インドネシア語のつもりだけど、いつもバリ語で変わらず話しかけてくれたお義母さん。

私の母やプトゥの生みの母とあちらで会っているといいな。

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今は昔、そして次世代へ

以前のブログから読んでいただいてる方は記憶にあるかもしれませんが、こっちのブログでは消えてしまったので、かぶるかもしれませんが、また書いてみようかなと思います。

プトゥは6人兄弟ですが、今の家族の外にも兄が2人います。いろいろと事情があって、実家ではプトゥのみ、第二夫人の子。5人の兄とは異母兄弟で、外の2人の兄とは異父兄弟です。

初めてこれを読んだ方は、きっと脳内バグりますよね。情報がいっぺんに頭に入ってこないはず。。。

いろいろな事情といいましたが、簡単にいえば義父が浮気 ヽ(#`Д´)ノ コラー

昔のバリ島では重婚は今よりもずっと一般的でした。
実は今も、法的には1人しか認められませんが、宗教婚は認められています。

プトゥの産みの母は、彼が2歳の時に結核(と黒魔術☝️(-ω-) で他界しました。

〔産みの母専用祭壇〕

今介護状態にある育ての義母は、他の兄弟と分け隔てなく育ててくれました。嫁からみてもそこは一点の曇りもありません。日本人の私には(いや多分多くのバリ人からみても)あり得ない苦労人の義母に対しては、私も敬意をもって接しています。

話を戻すと、プトゥ含め兄弟合計8人のうち、7人が日本で働きました。
最初に日本へ渡ったのはもちろん長男ワヤンで、当時は日本へバリ人が出稼ぎに行く走りだったそう。その後、次々と呼ばれ日本へ。

理由はやはり、貧しかったから。

ジュンブラナ県は観光から離れ、農業・漁業・林業・畜産業のさかんな地域。でも義両親はクルンクンから移住してきたために土地はなく、小作人として掘建て小屋住み込みの生活からどうにか土地を買い、今の実家を建てました。

〔のちに大工になった義父が自ら建てた実家〕

この地域では、現在も多くの若者が出稼ぎに出ていきます。日本、オーストラリア、台湾、韓国、ドバイ、トルコ、それから船の乗組員も。稼ぎ頭が実家や家寺修繕費用を出し、家族のビジネスに投資サポートしたり、下の弟妹を学校へやったり、病の家族を助けたり、残りは不動産投資してみたり。

誰かの出稼ぎのおかげでコロナ禍を乗り切っている人もいるでしょうね。

さて、今月に入り、甥っ子(21歳)と、はとこの女の子(20歳)が日本へ実習生として派遣されました。

コロナ禍になりずーーーーーーっと出発を待っていて、本当にようやくの門出🥺。
甥っ子は父親も日本で働いたので、第2世代です。

ただ、日本人の私が気になること。
ここ数年、実習生制度そのものが問題視される風潮が強くなってきた気がします。ブラック低賃金労働だ!奴隷だ!とか、日本の入管の外国人に対する扱いなど、ニュースで宜しくない話が増えましたよね。

もし制度に穴があるならば、誤魔化さずに直すなり取り締まるなりしてほしい。それと、これは実習生に限った話ではないですが、日本で起きるいじめやネグレクト、暴行。外国人に限った話でもないですよね。こういったことは正面から犯罪として扱う方がいいのでは?と思います。

2人にとってはせっかく親から自立し、経験を積んで視野を広げる機会。日本の良いところを見極めて、上手につまみ食いして、将来に生かして欲しいなと心から思います。

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クニンガン翌日のお出かけ

クニンガンが明けて、再びギャニャールの方へ仕事に行ってしまったプトゥ。

私はその間ヌガラで完全ワンオペ家事育児。ざっくり言えば今のプトゥの仕事は、1週間泊まり込みで働いて、日曜日だけ帰って来られる別居婚のような感じです。

というわけで、ウェブ関連の更新はほぼストップしておりました。

ガルンガンがあったので数日間ヌガラで過ごすことはできたんですが、基本バリヒンズーの宗教行事があったり介護のお手伝いがあったりで、家族とのゆっくり時間を取ることが難しくなりました。

〔今回のガルンガンで初めてフルであっちこっちに参拝〕

クニンガン翌日にようやく半日空いたので、バニュウェダン温泉に行ってみたものの、すごい人。

〔村で管理する公共温泉〕

私たちの家から車で1時間ちょっとのところにあります。

遠方からドライブがてら寺院参拝する人がたちが沢山いて、皆がここに立ち寄っていました。バリ島はワクチン接種率が高く、ちょうど感染者もかなり減っている時期で、まるでコロナなんてなくなったかのような雰囲気。

ちなみに普段、特に平日はとても空いていて、貸切状態が期待できます。温泉を見下ろすワルンでナシゴレンやトロピカルフルーツジュース程度の簡単な食事ができるし、ロッカーやシャワーもあり、公共の場所の割にはとてもしっかりと管理されていて綺麗です。*:.。☆..。.(´∀`人)

この森の奥に、日本人のバリ島在住者に人気の温泉付きミンピリゾートがあります。

バニュウェダン温泉も源泉はたぶん同じなので、温度も高めで、お湯の質もなかなかでした。♨️

ここはまた是非行きたい♪

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そろそろバドゥンに戻る?

プトゥのトラック業の都合から別居婚が濃厚になり、急遽お試しコス生活をしてみたものの不便が多く、さてどうする?と悩みながら、ヌガラの疎開生活に戻った私たち。

暮らしてわかったことですが、雨季に入ると、ヌガラ周辺はデンパサールよりも雨の頻度が多い。仕事はあるけれど、個人宅か小規模の分譲地の整地で、現場までの道などが整備されていない環境がとても多い。大体はそこをのんびり整備するところから始まるので、雨季は仕事になりません。(TωT)

ヌガラ周辺の採土場がストップした流れから、ギャニャールの大規模な現場の仕事を紹介されたプトゥ。バドゥンにある私たちの持ち家には義兄夫婦が暮らしていて、現場からも1時間かかったので、あえてコスを試してみたものの…。

ここにきて「やっぱりバドゥンの持ち家に戻る?」という感じになってきました。

理由をまとめると、

  • 疎開先の浸水リスクがすぐに解決しない(解決したら格段に快適だしいてもいい)。ヌガラの森に自宅を構えたいけど、今すぐは無理。
  • 私は完全ワンオペになるが、親戚からの暮らしのサポートはほぼ期待できない。
  • 介護サポートニコニコ隊員だった私も忙しく、雨季は実家に行くタイミングを掴むのが難しい。
  • プトゥは帰宅するとすぐに実家に呼ばれてしまう。3人家族の時間が希薄。
  • 3歳のジュニアはパパ大好きなので、しょっちゅう泣いている。
  • 菜園も1人ではなかなかうまく維持管理できない。
  • 実は介護隊員もサポート隊員も、他の兄弟家族だってできる(やってないだけ)。
  • 私が仕事復帰するにしても、バドゥンにいる方がネット環境的にも容易。
  • 住所登録にまつわるあれこれが面倒。ヌガラに変更するのは森の家ができてから。

これくらいかな。

〔暫定森の家:義父作〕

プトゥは最初は実家の近くと考えていたけれど、ギャニャールで他の現場の仕事の紹介が増え、南部メインでやっていけそうな気配も見えてきました。今回「バドゥンに戻ろうか?」と言い出したのは、私ではなくプトゥ。

もちろん仕事は忙しくて毎日一緒にはいられないだろうけど、仕事が早く終わったり、疲れたなという日には気軽にバドゥンの自宅に帰れる方が、家族の時間を持てるのでは?と思ったみたい。

考えがまとまるとプトゥはめちゃくちゃ行動が早くなるので、数日後にはもう引っ越しているかもしれませんが、私的には引越し疲れでちょっと間を置きたいような(^_^;)

そんな我が家の流れの中、オミクロン変異株が新たに出現。

先の見えない世の中に 我が家 五里霧中 プトゥは毎日 櫛風沐雨 YO YO

あれラップでてきたわ。

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